会員学生のみなさん、こんにちは。
中国共産党解放軍の情報工作を担当している総参謀部から、
天安門事件当時のある程度正確な被害者数が暴露されております。
【89年6月1-10日北京决人 – 三万二千人】
(訳:89年6月1-10日北京軍隊が鎮圧処刑した人員統計・3万2千人)
http://jasmineplaces.blogspot.jp/2014/06/8961-10.html
被害者総数、なんと約3万2000人とのこと。
以下、翻訳しましたのでどうぞご覧ください。
(太字は私の編集です)
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訳
89年6月1-10日北京軍隊が鎮圧処刑した人口統計 ・3万2千人
作者:総参謀部職員
以下の数字は中共内部から2004年1月11日付で出てきたものだが、報告者本人は2004年11月21日に北京で殺害された。
氏名は不詳,わかっているのは総参謀部高級官員であることだけである。
1989年6月,中国は武力鎮圧命令を下達した後,内部の指揮問題から、人民英雄記念碑東側と南側の鎮圧時に誤ってデモ隊に混在していた100人近い私服員を殺してしまった。
多くのデモ参加者は記念碑の上から東西の長安街方向に退散したが、雑草を根本から絶って類似事件の再発を避け、未来の統治を脅かす原動力を消滅させるため、現場にいた4万人に対し血なまぐさい虐殺を行った。解放軍の人口的配慮で軍内部からの不満を避けるため、番号の違う部隊での共同鎮圧となり、作戦が実行され、長く冤罪の恨みを生み出してしまった。
殺された多くの人員は死後、死体を小さな山のように積み重ねられ、一部は象徴的に家族の引き取りを許されたが、多くは火葬処理が強行された。死人に口なしとばかりに、天安門の鎮圧地区は最後に大規模な内部洗浄と修復作業が行われて、血痕や弾丸の後は綺麗になった。鎮圧時に採用された分割方法で、多くのデモ参加者は分散されて群れごとに処刑され、多くのけが人はその後捕まり殺されたが、これも初期の段階での死亡人員がとても少ない原因でもあった。
現場から離脱できた人々は部分的な死者を見ただけで、大量の被害状況は事実上完全に覆われ、現場の人々は処分され、あるいは捕まって殺されて、実際の死亡者はさらに人民の想像を超えていた。
中国軍隊内部には実に多くの6・4鎮圧の資料文献と写真があり、多くの遠距離での天安門地区鎮圧資料は、もしかすると6・4名誉回復あるいは中国共産党崩壊後に、彼らは日本のファシストが北京大虐殺をやったのと同じような血なまぐさい一幕として現在の国民の前に明らかにされるかもしれない。以下の資料は1989年10月12日、総参謀部が統計した部分資料である。(けが人は含まれていない)
1989年6月1~10日 死亡総人口 31978人:
1、 うち、学生(身分確認) 10974人
2、 一般人(身分学人) 7992人
3、 不明(未確認) 11865人
(2類と3類の人員には工員、農民、教師、医療関係者、武装警察、警察人員、私服警察官、国家機関関係者、退職幹部、僧侶男女、教会関係者、外国人などを含む)
軍隊の襲撃を受けて死亡したもの(身分確認) 113人
軍隊内部の誤殺(身分確認) 197人
重症の障害を受けた後死亡したもの(医院) 837人
死亡地区:(以下、軍人を含む):
頤和園地区 12人
北京大学地区 17人
精華大学地区 23人
万寿路地区 39人
木?地地区 11人
燕京飯店の外 27人
民族飯店の外 57人
西単地区 113人
西単から新華門までの地区 389人
人民大会堂北 271人(堆積死体群)
南?安街至南池子大通り 933人(堆積死体群)
天安門広場人民大会堂側 3569人(大きな堆積死体群)
天安門広場歴史博物館側 5781人(大きな堆積死体群)
人民英雄記念碑南側 2544人(大きな堆積死体群)
人民英雄記念碑北側 4633人(大きな堆積死体群)
天安門広場長安街側 9531人(大きな堆積死体群)
金水橋 289人(堆積死体群)
午門 812人(堆積死体群)
前門大通り 53人
崇文門地区 29人
北京飯店の外 21人
建国門の外 19人
二環路の建国門から朝陽門まで33人
紅廟地区 17人
住宅侵入及び事務所エリアで処刑 1918人
病院 837人
合計 31978人
多くの人々は殺された後死体は集められ、舞台ごとに数字統計を作り軍隊の業績として表現され、地域外や破損した死体の身分は不明、確認しようがなかった。
89年6月10日以後に殺された、あるいは逮捕された人口は不明。
情報元は《明鏡新聞網》
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翻訳は以上。
最初の本文中に
「デモ隊に混在していた100人近い私服員を殺してしまった。」
とありながら、その後で
「軍隊内部の誤殺(身分確認) 197人」
とあるなど、ちょっとおかしな部分があります。
反乱分子が動き出せばスパイを送り込むというのは、
前回の反日暴動デモにおいても見られた動きでしたが、
そのスパイもろとも殺していたというのは驚きでした。
これが公表されれば、次回の民主化運動や反日デモの際に、
こうした反乱分子の中に潜り込んで暴徒の扇動や抑止を行う私服警察官
その他の私服部隊は、もう活動をしなくなってしまうでしょう。
いつ完成するかはわかりませんが、現在この資料を基に
「天安門慰霊観光マップ」を作成中。
私の7冊目の内容はほぼ決まり8月発行予定ですので、
その次の8冊目にでも付録として付けてもらうか、
中国語に編集してばらまこうかと思っています(笑)。